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バラエティ(Variety, the Children's Charity) は、子供を対象にした世界的な慈善団体(Variety )である。日本にも支部(Tent83)がある。 ==発端== 1914年に始まった第一次世界大戦は、1918年に終結し、1920年代後半のアメリカは空前の大繁栄をとげた。大衆の生活は大量生産・大量消費の生活様式が確立し、「黄金の20年代」と呼ばれた。世界恐慌の引き金となるニューヨーク証券取引所での株価の大暴落は、1929年10月24日に起こったのである。 そのような時代背景の中で、1927年10月10日、米国ペンシルバニア州ピッツバーグでショービジネスに携わる11人の男性が、社会活動をするグループとして、「バラエティ・クラブ」(Variety Club)を創設した。 1928年のクリスマスイブの晩、ペンシルバニア州ピッツバーグのシェリダン・スクエア映画館(Sheridan Square Film Theatre)の階段に、小さな赤ん坊(女児)が捨てられていた。手紙にはこう書いてあった。 どうか、私の赤ん坊を育ててくださるようお願い申しあげます。赤ん坊の名前はキャサリンです。夫は失業中なのに、私には、他に8人の子供がいて、もう、育てるのは無理なんです。キャサリンは感謝祭の日に生まれました。私は、ショービジネスの人たちは情け深い人たちと聞いています。どうか神様、キャサリンを育てて下さいますよう、心からお祈り申しあげます。 失意の母より 警察と地元の新聞は、必死に両親を探したが見つからず、「バラエティ・クラブ」のリーダーだったジョン・ハリス(John H. Harris)が、この赤ちゃんを、クラブ名と劇場名にちなんで、キャサリン・バラエティ・シェリダン(Catherine Variety Sheridan)と命名した。彼の母親が支援していたピッツバーグのロゼリア・ファンドリング・ホーム(Pittsburgh's Roselia Foundling Home )に預け、彼女の生活の面倒を見た。 「バラエティ・クラブ」の了解の元、メディアを通して、ジョン・ハリスが、このことを伝えると、たくさんの支援の声が上がった。これをきっかけとして、「バラエティ・クラブ」は世界中の恵まれない子供たちを助けることを始めた。ジョン・ハリスは、後に、バラエティ・インターナショナルの初代会長に就任する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バラエティ (国際慈善団体)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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